源応挙壽像
応挙の息子(応瑞)が書いたと言われる肖像画。さどや所有の掛け軸の中でも大変貴重な物で、現在は専門施設にて保管中。
おかげさまで、旅籠「さどや」は天文元年(西暦1532年)創業から四百年を越す旅館となりました。
さどやのある場所は、山陰浜街道に面した宿場町として、昔は200軒を超す大集落で香住発生の地であり、行き交う人も多くいました。
その中で、さどやは廻船問屋、旅籠「佐渡屋」として栄えていきました。
また、海の航路としても北前船の風待ちとして自然の良港でした。出入りも多く年間300隻を下らずと記載があります。
享保年間から明治、大正までの記録も数多く残っています。
応挙の息子(応瑞)が書いたと言われる肖像画。さどや所有の掛け軸の中でも大変貴重な物で、現在は専門施設にて保管中。
御師(オンシ)と呼ぶのが通例です。江戸時代前期は現在で言う伊勢神宮への旅行業者で、全国の檀家を廻り御札や伊勢暦などを配って参宮の勧誘や伊勢講の宿泊や案内などのお世話をしたそうです。
当時この地に訪れた御師が旅籠佐渡屋に立寄られたと語り継がれております。
江戸時代の佐渡屋にて使用していた「金銀出入帳」(宿帳簿)。
エントランスに飾ってある縁起のいい鯉の瀧のぼり図。
江戸時代、旅籠佐渡屋で使用していた器。
年代物の屏風。落款はないが代々伝わる貴重なものです。
古文書も多数所持しております。展示はしておりません。
絵画も数多く所持しております。季節などで展示物を変えています。
玄関でお出迎え。江戸時代の北前船の碇です。